映画を語りたひ。

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シリーズ異端の名作:ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃-その②-

徐々に熱も冷めてきたため、週末は批判的精神を持って

ゴジラを観に行くことができそうだ。

とは言え、暴力的なまでの怪獣愛が全編覆い尽くしているので、

まだなんとも言えないが。

 

さて、GMKである。

 

この映画が公開された年にはすでに平成ガメラシリーズは

終わりを迎えていた。

ガメラ3が配給収入10億円に達しなかったからとのことである。

正直、小学生だった私はガメラの続きが作られない(今もなお!)ことが

非常に悲しく、胸にポッカリと空いた穴もゴジラが塞いでくれず、

おまけにそのゴジラでさえも凋落の様相を呈しつつあった。

しかし、GMKは私を大いに満足させた。

間違いなく、自分が観てきたどのゴジラよりも一番おもしろいと

思うことができたのである。

 

ゴジラ映画というものは、ひとつの宿命を背負っている。

それは、初代ゴジラ、1954年の『ゴジラ』との戦いである。

ゴジラである以上、オリジナルとの比較はついてまわる。

しかし、大半のゴジラ映画は初代ゴジラとの戦いを避けているか、

大惨敗を喫している。

戦いを避け、新たなる境地(あるいはある種の狂気性)にたどり着いた

ゴジラ対ヘドラ』のような作品なは極めて稀であり、

大抵は怪獣映画という枠に自ら収まっている。

大惨敗の代表例としてあげられるのは、

1984年の『ゴジラ』だ。よりにもよって同じタイトルなのである。

戦争と、それに対する犠牲を象徴的に描いた初代と比べると、

なにひとつとして表現しきれていない。

もっとも、高度に複雑化し、もつれにもつれてしまった近代を

ゴジラひとり(1体と書くのは抵抗がある)に背負わせるのは

到底無理な話であったのだと思う。

高層ビルのなか、どことなく所在なさげに闊歩する

ゴジラの姿が妙に印象的だった。

 

初代を過度に神格化していると自分でも思う。

でも、初代ゴジラをおとなになってようやく観たとき、

自分がそれまで観てきたゴジラ映画が色あせて見えてしまったのは

紛れもない事実なのだ。

 

このGMKは数少ない色褪せなかったうちのひとつなのである。

 

まだ作品について何ひとつとして語っていないけど続きます。

こんな、ゴジラに対する自分の想いを総括するつもりなんてなかったのに。