映画を語りたひ。

映画について書き散らすだけです。

実写化作品のロールモデルとして:アラジン-その②-

アニメ版の『アラジン』を観て、その流れでジャファーの逆襲

(原題は『The Return of Jafar』、ジャファーの帰還といったところか)を

観てたんだけど、面白い。

子供のとき、どーやってジャファー倒すんだよと、

ディズニーなのに絶望感を強く感じたことを思い出した。

 

前回の勢いのまま、実写版『アラジン』の違和感を

列挙していく。

 

③妙に目立つジャスミン

時代の要請、というやつなのだろう。

アニメ版でもジャスミンは他のディズニープリンセスよりも能動的で

主体性のあるキャラクターだったように感じたが、実写版では

その上をゆく。

 

私は王になる、という決意のもと日々を過ごしているという設定なのだ。

まあこれは別に問題なかろう。

問題は、描写だ。歌の。

後半、ジャスミンの歌のパートがあるのだが、

このシーンの浮きっぷりがすごい。

唐突だしそのシーンの演出だけ妙に象徴的だしで、

違和感バリッバリ。

悪くはないんだよ、むしろジャスミンの決意が明示されて

終盤に入りやすいとは思うんだよ。

だけど妙に浮いてるんだよ。いきなりなんだよ。

 

とどめはラスト。

『アラジン』はアニメ版でも今回の実写版でも、

王様がスルタン(ないしサルタン)と呼ばれている。

これはイスラム世界における君主のことだ。

イスラム世界で女性が公的な立場に就くことは非常にめずらしく、

これはいいのか?と思ってしまった。

もっとも、今調べたら女性スルタンいました。

めちゃくちゃ少ないけどたしかにいます。

単純に無知からくる違和感だったわけだ。

 

ただまあアニメ版では王様が法を変えてジャスミンの結婚を許可する

って描写であってジャスミンが王様になるっていう展開ではなかったのは

はっきり覚えていたので、これは時代なんだな、と思ってしまった。

それに対しては良いとか悪いとかの感想は別にないんだけどね。

 

とまあ、いろいろ文句をつけてきたわけだが

これらは全部確信犯的になされているものだと思う。

今回の『アラジン』では、たったひとつの売り・魅力があればよかったわけで、

(ディズニーでさえ、近年はたったひとつができてないケースは多い)

それ以外の部分は意図的に(もちろん予算・スケジュールの都合もあっただろう。

リソースは無限ではないのだ)手を抜いている。

 

そのたったひとつがウィル・スミスだったのだ。

 

正直、ウィル・スミスの歌うシーンは『ホール・ニュー・ワールド』より

にぎやかかつ世界が広がっていき、楽しい。

また、ジーニーとしての率直な願いを語るシーンも非常に素晴らしい。

万能の魔神である立場から卑小な人間を羨むという設定は

当然だがアニメ版にはなかった。

そもそも自由になってもアニメじゃ

ジーニーのやってることって変わってないしね。

1番重要だったのはジーニーが自由になることによってのみ

成立したアラジンとの友情だったわけで。

 

この映画において、ウィル・スミスのジーニーはアニメ版とは

全く異なるかたちで成立した、

魅力あふれる稀有なキャラクターであることに間違いない。

それを観に行くだけでもこの映画は素晴らしい体験ができると私は思うのだ。

 

ちなみに8月公開のライオン・キングはおそらくひどいもんだと思います。

間違いない。

正直、ダンボとどっちがひどくなるのか非常に楽しみであります。